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「風の男 白州次郎」(1) [本]

風の男 白洲次郎  何も特別な思いを抱いてこの本を手に取ったわけでは
ありません。
 2000年に発行されたこの本がなぜいま
本屋で平積みでキャンペーンされているのかも
わからなかったし(なぜですか?)、
なにより恥ずかしながら歴史に疎い私は、
白州次郎というその人を知らなかったのですから。

ただ、帯に書かれた言葉・・・・・・

「従順ならざる唯一の日本人
  GHQをしてかく言わしめた男の、風の生涯!」

の一文がザクッと胸に突き刺さり、迷わずレジに向かったのでした。

いやあ、なんだかゾクッとするほど気持ちのいい本でした。

 詳しい解説は簡単に検索できるので、
ここではすでに充分語りつくされたことを承知で
自分なりの感想をキーワードをあげて書いてみます。

■マッカーサーにも楯突ける男
 戦後アメリカに占領統治されていた失意と混乱の日本においてなお、
揺るぎない頑丈な芯を持ち、周囲の環境が激変しても
自分の持つ価値観が微動だにしない様は、
マッカーサーも真っ赤さー・・・・・・(い、いや、誤変換です、誤変換orz)、
いや、マッカーサーならずとも舌を巻いたことでしょう。

 敗戦後の奇跡的な復興を遂げる原動力となった
彼のポジティブシンキングなところは
このような文章でも表現されています。

>・・・・・・吉田(茂)も白州も戦後の未曾有の混乱のさなか
>キラキラとした目の光を放ち、今船を漕ぎ出そうとしている。・・・・・・

■カントリー・ジェントルマン
 小林秀雄が”隠居”について考えたとき、
適当な英訳を白州に尋ねるとこの言葉を回答した。
 意味するものは日本の”隠居”とは些かの違いがあるようですが、
白州はカントリー・ジェントルマンというライフスタイルを
気に入っていたようです。

 田舎でスローライフを送りながらも中央の政治には
しっかり目を光らせ、その視点は地方から俯瞰できるため、
極めて大局的かつ客観的にものごとを判断できる、
そんなイギリス紳士のことを指す言葉のようです。

 戦争に敗れると直感するやいなや、郊外に居を構えて
農作業の生活に切り替えたあたりのシャープな身のこなしは、
判断力もさることながらどんな状況でも生き抜く力を感じさせます。
それが彼の芯の強さを支える太い柱なのでしょう。

 与えられた環境が悪いものでなければ、
無理にそこから飛び出す必要はないでしょうが、
現在の環境に頼らずに生きる力を持っているのだろうか、
と自問することは自分を客観的に判断する大事な方法だと思います。

■「従順ならざる唯一の日本人」
 白州次郎を知る人は誰もがこの言葉とともに
彼のイメージを描くのかもしれない。

 終戦からサンフランシスコ講和条約締結までの
約6年間の占領期間中、終戦連絡事務局参与を努めた
白州を評してGHQが本国に連絡した言葉として
あまりにも有名(だそうです)。

>「軍人による戦争には負けたが、歴史と伝統を保持する日本は
>潰れてはいないぞ」という気概

 これは白州の言葉ではありませんが、誇り高いとは
こういうことを言うのでしょう。

 この人の人生は、戦争の勝ち負けという
不確定性を伴う事象によって影響を受けようなものでは
なかったのだと思います。

 たとえ戦争に勝っていたとしても、彼の信条や価値観は
現在語られているものと違いはなかったことでしょう。

■強者を手玉に取る機転の利いた会話
 日本国憲法草案のやりとりの中で、ホイットニー総司令部民政局長が
「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」と言った際
「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」
と答えた男(もちろん英語で、です)。

 時代背景を充分考えてください。

 現代のバラエティ番組にで外国人タレント相手に
日本のお笑い芸人が発している訳ではないのです。

 日本がアメリカに占領されていた時代、
わが国の将来を方向付けする憲法草案として
日本からの案が棄却されてアメリカ案を突きつけられている、
というようなやり取りのなかで、
そう、誰もがいやでもGHQの顔色を見ながら
ものを言わずにはいられないような状況下での発言です。

 単に相手をおちょくっている、という感覚では
到底発することのできない危険性を孕(はら)んでいるのです。
極めてギャンブル性の高い発言ですが、きっと彼のなかでは、
相手を不用意に怒らせずに押さえつけられるという
確信に満ちた感覚があったことでしょう。

・・・・・・ちょっと長文でくどくなってしまいましたので、続きは次回に分けることにします。

読んだことある人も、読んでみたくなった人も、クリック!


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マリんちゃん

「戦争に敗れると直感するやいなや、郊外に居を構えて
農作業の生活に切り替えた」で、大叔父のことを思い出しました。

大叔父は外科医でしたが、敗戦になり、九州の片田舎で農業でもして
暮すか、と大叔母に言って畑を耕していたところ、MPが突然やってきて
GHQ本部に連れていかれました。

この人材不足の日本で、どうしてそんなことをしてるのか、と怒られて
そのまま東京に残され、東京逓信病院や年金病院の建て直しを命じ
られました。
by マリんちゃん (2007-05-25 13:40) 

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