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兄妹殺人事件に何を学ぶか [家族]

 年末年始と目を覆いたくなるような残忍な事件が続きます。
歯科医師宅でのバラバラ死体事件は、
ニュースを聞いているだけで背中に氷の剣を突きたてられたような
恐怖を感じました。
(それにしても残された家族のことなど
眼中に無いとも思われる実名報道の品のなさにはあきれますね)

 弁護士による容疑者接見の会見などの情報も出てきたこのあたりで
この事件についてちょっと考えて見ましょう。

 ワイドショーやニュースの特集による情報だけだと恐らく、
「この異常殺人に至った歪んだ家庭環境」とか、
「なぜこのように残忍な方法をとったのか」などの
表面的な都合の良い解釈に始終することが予想されます。

 しかしそれは視聴者の興味を引くだけの無いようにとどまり、
我々、特に子どもを持つ家庭の日常生活を今一度見直す
きっかけを決して与えてはくれません。

 今回の事件のから何を感じ、何を考え、学ぶべきなのでしょうか。

 殺人という結果にいたるケースは非常にまれでしょうが、
これをたまたま存在した特殊な事例と片付けるのは
簡単ですが危険です。

 殺人という手段は人間のうっ積した感情がある閾値に
達したときに起きる現象であり、そこまでに至らずとも
それに近い精神状態に置かれている人間は多く存在すると
考えるほうが妥当でしょう。

 正常な人間と異常な人間はきれいに分類できるわけではなく、
連続的に様々な段階が存在するというのが
統計的な考えとしては受け入れやすいものです。

 殺人事件はまれですが、この家族と似たような
状況に置かれている家族は少なくないかも知れません。
事件が起きなくともそれを正常な状態とは言えないでしょう。
遅くともこの時点で対策を講じなければ、
たとえ大きな事件が起こらなくとも本当の意味での
社会の正常化とは言えないのではないでしょうか。

 特に子どもを持つ親としては、親の知らないうちに
子どもを追い詰めてしまうことだけは避けなければいけません。
しかし親には子どもに対する期待や要求はつき物で、
これを完全に捨てることも勿論できません。

 多くの親は、自分の子どもの気持ちくらい知っていると妄信しがちでしょう。
でも子どもといえども自分とは違う存在です。

「他人の気持ちを全て理解することは不可能だ」
という謙虚な前提を据えて、決して自分の都合でなく
相手と目線を揃えて”解ろうとする”ことが大切なのかなと考えます。

「夢を持てない」ことも「夢を持てないことを責める」ことも
特殊な事態ではありません。
 親の跡継ぎのための三浪なんてのもどこにでもある話です。

 そのような表面的なことを改善することよりも、
弱者である子どもの気持ちを閉じ込めないで
開放してあげることが大切なんだと思いました。

 非常に抽象的な話になってしまいました。
はっきり申し上げて具体的な方法論はもっておりません。
まずはどうすれば良いかを考え続けること自体が
ひとつの具体的方策なのだと現在は考えています。

これはブログの読者に対する解説ではなく、
父親としてこれから自分が何をしていくべきかを考える機会と
捉えて書いたものですのでご容赦願います。

関連ブログ:医学都市伝説


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